会員スピーチ「2023年葵祭を経験して」
松井道宣会員
「斎王代」にお嬢様が選ばれた葵祭の経験談をお話いただきました。我々は京都に住んでいますが葵祭について意外と知らないことばかりで、葵祭の歴史など非常に勉強になりました。
「葵祭」とは?
葵祭は、京都三大祭のひとつ。約1400年前に起源をもつ優雅で古趣に富んだ祭り。総勢500名以上が平安貴族の姿で、京都御所~下鴨神社~上賀茂神社へと向かう行列が有名。
https://ja.kyoto.travel/event/major/aoi/
「葵祭の歴史」
都が平安京に遷される250年前のこと、欽明(きんめい)天皇(540-571)といいますから、聖徳太子のお祖父さんが天皇だったころ、風雨がなかなか収まらず、飢饉(ききん)や疫病に見まわれ、民は苦しみました。朝廷でその原因を占ったところ、山城の国にいらっしゃる賀茂の神の怒りと分かり、4月吉日に天皇が勅使を遣わして、馬に鈴をつけ、人に猪の頭を被せて走らせ、祭りを行い、神をなだめたところ、ようやく風も雨も治まり、それ以来この祭りを行ったのが賀茂祭(葵祭)の起源であると伝えられています。
平安時代には隆盛を極め、『源氏物語』など数々の文学作品にも登場します。その後次第に衰退し、応仁の乱以降、長い間中断しましたが、江戸時代の元禄年間に再び復活しました。明治時代にもやはりしばらく中断しましたが、岩倉具視(ともみ)などの尽力でやがて復興。太平洋戦争の途中から戦後まで中断しますが、昭和28年に復興、その3年後には雅な女人列も登場しました。
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「斎王代(さいおうだい)」とは?
その昔、伊勢神宮に奉仕した内親王(天皇の娘)を「斎宮」と呼ぶのに対し、賀茂社に奉仕した内親王を「斎王」と呼びました。「斎院」とは奉仕前に精進潔斎するための、研修施設のことを指しましたが、「斎王」のことを、その住んでいる場所から「斎院」とも呼ぶようになりました。斎王がいる間は、もちろん「斎王」自身が賀茂祭のヒロインでしたが、鎌倉時代に「斎王」の制度が無くなってから、後世では「斎王代」がその役を務めるようになりました。文字通り斎王の代理です。「葵祭」が幾度かの中断の後、戦後の復興の折には京都にゆかりのある未婚女性が「斎王代」として選ばれるようになりました。任期は1年です。
ちなみに初代の斎王は平安時代初期の嵯峨天皇の娘、「有智子(うちこ(し))内親王」。最後の斎王は鎌倉時代、後鳥羽天皇の娘「礼子(いやこ)内親王」でした。
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